沈黙の艦隊 | 漫画 | かわぐちかいじ | 名シーンやら、名言やら。

「沈黙の艦隊」というトンデモとリアルの狭間

「沈黙の艦隊」っていう、昔から大好きな漫画がある。
1988年に講談社『モーニング』で連載が始まったこの作品。日本はバブル経済の真っ只中。世の中は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と浮かれていた時代だったし、米ソの冷戦構造もまだしっかり残っていた。そんな当時の空気を背景に、「原子力潜水艦で独立国家を名乗る」というトンデモな話が展開される。

こう書くと、今どきの“なろう系”ファンタジーにも負けないくらいの荒唐無稽に見えるかもしれない。卓越した戦略・戦術眼をもった自衛隊の艦長が、最新鋭の原潜〈やまと〉を駆って、米国の大艦隊と一戦交えながら、最終的にはニューヨークの国連本部に乗り込んで世界を変える——。いや、冷静に考えてとんでもない。でも、不思議なことに、読んでいる最中はその“とんでもなさ”が全く気にならない。というより、むしろ現実のほうが嘘くさく思えてくるくらいに、作品の中に引き込まれてしまう。

なぜなのか。それはやはり、この漫画が単なる空想戦記や戦争アクションにとどまっていないからだ。

現実よりリアルな「政治ドラマ」

「沈黙の艦隊」は確かに潜水艦バトル漫画である。戦術戦略の読み合い、ソナーの音だけを頼りにした“水中のチェス”のような駆け引き、無音で迫る魚雷の恐怖……軍事ものとしての迫力も一級品だ。

だが、初めてこの作品を読んだときから、20年以上が経った今なお強く記憶に残っているのは、戦闘シーンではない。むしろ、その前後に描かれる政治家たち、軍人たちの思惑と葛藤、そして言葉だ。人間臭く、冷酷で、利己的でもある彼らが、それでも心のどこかにしまっていた“理想”や“信念”を思い出し、揺れる姿。その描写が、実にリアルで、妙に信じられてしまうのだ。

特に印象深いのは、物語の中盤で登場する総理大臣候補たちによるテレビ討論会のシーン。「政治とは何か?」「国民とは何か?」という問いに対して、彼らが真剣に、自らの言葉で語る姿は、漫画であることを忘れさせる熱を持っていた。

現実のリーダーにも期待したくなる

「沈黙の艦隊」に出てくるリーダーたちは決して聖人君子ではない。むしろ、多くが自分の地位や保身を優先するような俗物として描かれる。でも、だからこそ、そのなかでたまに垣間見える“本音”や“覚悟”が胸に響く。

海江田四郎という主人公もまた、正義の味方とは言い切れない存在だ。彼がなぜこんな突飛な行動に出たのか、本当に世界を変えるつもりなのか、それともただの理想主義者なのか——読み進めるうちに、読者自身が問われることになる。「あなたはどうする?」と。

この作品は、単なる娯楽にとどまらず、社会的・政治的なメッセージを強く含んでいる。それでいて、決して説教臭くはならない。キャラクターたちの言葉や行動を通じて、自然と読者に問いかけてくる。

「国とは何か」「核の力とは」「抑止とは」「民意とは」——重いテーマを扱いながらも、読後感は不思議と前向きだ。絶望の中に希望があるというか、人間の可能性を信じたくなるような、そんな気持ちにさせてくれる。

名言・名シーン

党首討論での「極限状況」設問――政治家の覚悟が問われる場面

解散総選挙直前に生中継された“党首討論”番組でのワンシーン。日本の未来を左右する場面で、記者・室岡が各党の党首に突きつけたのは、政策ではなく、ある「極限状況における行動選択」についての問いです。

生き残るために“誰かを犠牲にすべきか”という過酷な仮定に対し、各人が信念に基づいた答えを返していきます。視聴者たち、そして作中のベネット米大統領ですらテレビの前で息を呑む中、この問答は、ただのフィクションに留まらず「誰に国を託すか?」という問いを観る者に突きつけてきます。

室岡(司会)
さて「やまと」保険そして国連論と各党の意見を伺ってまいりましたが、最後にひとつだけ私からお聞きしたいことがあります。党の政策ではありません。

それは「ある状況に置かれた時あなたはどう行動するか」ということです。あくまで個人的見解を是非お答え頂きたいのですが拒否されてもけっこうです。

ある状況とはこういう状況です。あなたの乗ったゴムボートが遭難し漂流しています。生存者は10名。救助を求めて大海原をさまよっています。

ところがこの中の1人に伝染病感染が確認されました。感染すれば死に至る病であることも判明しました。放置しておけば他の9人全員が感染する恐れがあります。

ポートが救助される見込みは今のところありません。あなたがこの10名のリーダーだとしたらどんな行動をとられますか?

ベネット(ホワイトハウスで視聴中)
何という質問だ!!仮にも総理候補が国民の前でこんな質問を受けてよいのか!答えるべきではない!政治家である以前に全人格が試されるぞ。

室岡
......竹上総理!

竹上
世界中が見ている中でこれは大変奇妙な質問だと思えるが...まして政治は現実であり仮定の設問にはお答えしにくい。だが… 自負と責任を持つジャーナリストが真に必要としている質問であるならば、われわれ政治家もこの奇妙な質問に全力で回答を出す努力をすべきか.....と思う。

感染すれば全員が死ぬ….と仮定しての話ですな。

室岡
その通りです。ポートには医師もおらず医薬品もありません。

竹上
まず、自分が感染した当人である場合…… 自分以外の者からリーダーを選出し私はその人間の指示に従います!

そしてその感染者が自分以外の場合....なるべく早くその感染者をポートから下ろします!

私はこの行動の全責任を負います!

室岡
それは、“殺す”という意味ですか?

竹上
1人でも多くの生命を守ること......それが政治です!

河之内
私はまず………全員にその事実を知らしめそして全員による話し合いを求めます。

室岡
話し合っても結論が出る保証もないし時間もないと思いますが?

河之内
全員従うという了解を得た上で多数決の決議を行う。

政治とは....ルールを設定しそれを守るということだ。

感染者が自分であれ他人であれ同じだ!

室岡
海渡さん

海渡
いかなる極限状況であれ少数を殺すことはできん!ならば全員死すべきである!!

政治とは、“神“の代理行為ではない!

そして…...もし感染者が自分ならば迷うことなく私は海に飛び込み己を始末する!

室岡
それでは少数を殺さないという理念に反しませんか?

海渡
いかなる状況においてもわれわれは公人なのだ。政治家に“私”などあり得ん!

室岡
...... 大滝さんは回答を拒否されますか。

大滝
いや…. 私は人間であることをやめない!10人全員が助かる方法を考えます!

室岡
それはどんな方法ですか!?

大滝
わかりません.....だが考え続けます!

このやり取りは、総選挙直前というリアルタイム性もあり、視聴者たちの政治家観・信頼に強く影響するものだったと思います。それぞれの回答に「なるほど」と思わされつつ、最も自分の価値観に近いのは誰なのか、投票の決め手となり得る重要なシーンです。

そして現実の日本もまた、社会的・経済的な難題を抱える中で、こうした“極限での倫理”が問われる場面が訪れる可能性があります。フィクションでありながらも、記者や視聴者が問う「誰に未来を託せるのか」という問いに、真っ直ぐに向き合う場面として深く心に残る名シーンでした。

世界政府構想と“牙の折れた象”──大滝の覚悟と演説

大滝淳は、作中で“突飛な理想家”と見られがちな政治家です。しかしその行動には常に一貫した信念があります。「世界を変えるには、常識を超える発想と、行動力が必要だ」という姿勢は、多くの登場人物を動かしていきます。

そんな大滝が、世界政府構想を直接訴えるこのシーン。力強い説得の中に、未来への希望と覚悟が凝縮されています。

アダムス事務総長:
海江田の最期を情景として想像したことがあるかね?

大滝淳:
海江田は永久に生きます。
地球の歴史年表の中でね。

アダムス:
ミスター・オオタキ。
君には時間も空間もけし粒のように感じられるようだね。
だが我々の現実では地球が1回転すれば24時間がすぎる。
カイエダとてその現実から逃れることはできないのだよ。
国家の思惑に翻弄されている時間などない!
彼が生きているうちに世界政府を実現せねばならんのだ!

大滝淳:
その通りです。
だが今のままでは、世界市民は世界政府に魅力を感じない。

会議メンバー:
いい宣伝のコピーでもお持ちかね?
単なる批判ならご免こうむる。

大滝淳:
国連が“世界軍備永久放棄”を提唱しなければ、世界政府など実現しないのです。
あなたの世界政府と、私の世界軍備永久放棄は共通の基盤に立っているのです。
共に海江田の力が必要だということも同じです!
「やまと」保険で私は海江田の考えをシミュレートしたつもりでしたが、
さらに積極的なシステムへと発展するべき時が来たことを知りました。

大滝淳:
世界政府へ向け国はさらに組織を拡大する必要がある。
つまり「やまと」が存在するうちに、巨額の資金を集めねばならない!
国家の思惑を排除するからには、国連は新しい試みへの勇気を持たねばなりません。
私はそのアイディアを持っている! この席に加えて頂けませんか。

大滝淳:
国連は4本の足すべてにトゲがささり、牙の折れた巨象だ。
しかし、まだ進みたい方向を指し示す長い鼻を持っている!

その鼻が指し示すべきは、世界市民に共通の願いではありませんか!
世界軍備永久放棄こそが世界市民の熱意を結集し、世界政府誕生へのエネルギーを生み出すのです!
また、軍備のある世界では永久に安定は望めません。
世界政府が成立後も安定して存続するためにも、世界軍備の廃絶が必要なのです。

大滝淳:
あの椅子に座ってもよろしいですか?

アダムス:
よかろう。かけたまえ!

この説得力は、理想と現実の間で揺れ動く世界情勢への冷静な分析と、「それでも変える」という意志の強さにあります。

現実の国連も、確かに“役に立たない”と揶揄されることがあります。大国の思惑や拒否権の存在が、あらゆる決定を遅らせているのも事実です。

けれどそれでも、希望を持ち続けたい。

大滝の言葉は、「今ある仕組みを諦めず、未来に可能性をつなぐ」ための、ひとつの模索なのかもしれません。

「人間は悪意より、善意が上回っている」ベネット大統領と海江田の最初で最後の対話

この場面は、『沈黙の艦隊』全編を通しても屈指の名場面であり、単なる軍事スリラーの枠を超えた“人間と政治の本質”を突く一幕です。

主人公・海江田の提示する新しい秩序“沈黙の艦隊”構想。対するは、世界最強国家アメリカの代表、ベネット大統領。彼はその理想に心を動かされながらも、国家を背負う立場として、絶対の「NO」を心の中で再確認します。

“沈黙の艦隊”を構成することになる原潜保有国は核兵器保有国に他ならない。
全ての核兵器保有国が支持した“沈黙の艦隊”は完全な核抑止力を発揮し、やがて核廃絶さえ達成するだろう。
それはそのままアメリカのみならず、世界が求めるフロンティア「世界政府」実現への礎となるだろう。
そしてアメリカは21世紀に向け最も功績のあった国として歴史に刻まれることになる!
もしそうなるならば私にためらいはない。それはそのまま私の理想ではないか!

だが私は個人として回答するのではない。
私は政治家として、人間の“悪意”というものを確信している!
人間の善なるものを想じてはならない!
世界の全てが賛同しても、それが人間の善なるものに依拠する考えであるならば、
合衆国大統領はたった一人でもそれを信じてはならないのだ!

その戒律で私は政治を行ってきた!
善なるものを守る権力とは、善なるものの力を頼りにしてはならないのだ!

お前の言うことは人間にはできないことだ。
欲望を持ち、悪意を持つ、生きた人間には不可能なことだ!
お前を信じて人類が動いては危ないのだ!

アメリカの答えはNOだ!

政治家としてのベネットの信条が、これでもかというほど心の声として語られています。。人間を信じないこと、それが国家元首としての責務であり、信念だと。

そして、この絶対的なNOのあと、壇上での静かな対話が始まります。衆人環視の中で。互いの本心を交差させる時間が始まります。

海江田:ベネットさん、私はあなたを信じることによってここまで来ました。

(ベネットの心中)
ここで私を個人の名で呼ぶな!
さっきのように国家代表の一人として呼ぶのだカイエダ!
マルスよ、私はこの男と話がしたい!
私は一言、いや二言でいい──人間のことと、世界のことだ。
私は……!

ベネット:私の答えはNOだ。

ベネット:驚かないのか。

海江田:NOを小声で言うために壇上へ?

ベネット:君と二人で話す機会は衆人環視の今しかないと気がついたのだ。

海江田:あなたはこの先NOの答えを吐き続けるでしょう。
ただ一つ、“人間である”という答えを除いて。
心にあるYESを裏切って口から出てくるNO……です。

海江田:アメリカは負けた?

ベネット:NO!

海江田:軍事力は完全放棄できる?

ベネット:NO!

海江田:“沈黙の艦隊”承認?

ベネット:NO!

海江田:私、信じますか?

ベネット:NO!

ベネット:君は私を信じているのか?

海江田:YES!

ベネット:たしかに私は人間だ。人間には完全なNOとかYESはないのだ!
私は政治家だ。完全なNOとYESはないのだ!

海江田:それが我々の、ただ一つの合意点です!

海江田:人間は悪意より、善意が上回っている?

ベネット:YES……!

海江田:不完全なYESで充分なのだ。

(周囲)
ベネット大統領がカイエダに応えたぞ!!
アメリカはイエスだ!!

あのベネットが──あの頑固で、冷徹に見えたベネット大統領が、心の奥底から漏らした「YES」。それは完全ではない、“不完全なYES”。けれど、それで十分だと海江田は言います。

“善なるものを守るために、善を信じてはいけない”という皮肉な戒律。それに縛られてきたベネットが、最後に「私は人間だ」と語ったとき、心のうちに理想を燃やす人間のベネットに戻ったのでしょう。

人間は完全ではない。けれど、だからこそ、信じるという行為に価値がある
この場面が『沈黙の艦隊』の核心であり、作者がもっとも伝えたかったことではないかな、と私は思うのです。

作品の諸情報

補足

バブル経済とは?

バブル経済とは、資産価格が実体経済からかけ離れて異常に高騰し、人々の投機的行動によってさらに加熱した経済状態のことです。日本では1980年代後半に、地価や株価が急上昇した「バブル景気」が発生しました。企業も個人も「土地は必ず値上がりする」と信じ、過剰な融資と投資が繰り返されましたが、1991年前後にそのバブルが崩壊。長期不況(いわゆる“失われた◯十年”)に突入することになります。

ジャパン・アズ・ナンバーワンとは?

「ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as Number One)」は、1979年にアメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲルが著したベストセラー書籍のタイトルで、日本の経済成長や社会制度を高く評価した内容です。この言葉は1980年代を通じて、日本が世界の経済大国として注目されていた時代の象徴となりました。当時の日本では自国への自信が高まり、対外的な発言力も増していましたが、同時に過剰な自負やアメリカとの緊張も生まれました。

米ソの冷戦構造とは?

「米ソの冷戦構造」とは、第二次世界大戦後から1991年のソ連崩壊まで続いたアメリカ合衆国(資本主義陣営)とソビエト連邦(社会主義陣営)の対立関係を指します。直接戦火を交えることは少なかったものの、核兵器の開発競争、スパイ活動、代理戦争(ベトナム戦争やアフガン侵攻)などが繰り広げられました。世界はこの二大国の影響下に置かれ、「東西冷戦」として国際政治の枠組みを大きく左右しました。

“なろう系”ファンタジーとは?

“なろう系”ファンタジーとは、小説投稿サイト「小説家になろう」に端を発する作品群を指す俗称で、異世界転生やチート能力を持った主人公が活躍する物語が中心です。現実世界では冴えない人物が、異世界では英雄として圧倒的な力を発揮するなど、読者のカタルシスや自己投影を促す作風が特徴です。2000年代後半から急速に普及し、アニメ化・書籍化作品も多数。近年の若年層向けファンタジーの一大ジャンルとなっています。

国連とは?

国連(国際連合)とは、第二次世界大戦後の1945年に設立された国際機関で、世界の平和と安全の維持、国際協力の促進、人権の尊重などを目的としています。現在は190以上の国が加盟しており、世界各国の代表が参加する総会や、安全保障理事会(安保理)などの組織があります。国連はその理念こそ崇高ですが、現実には加盟国の利害や政治的対立により、その決定力や実効性に課題を抱えている面もあります。

拒否権とは?

拒否権とは、国連安全保障理事会の常任理事国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)のいずれかが反対することで、重要な決議を成立させない権利のことです。たとえ多数の国が賛成しても、1か国の反対で否決されるため、国際的な問題解決を妨げる要因にもなっています。この制度は第二次大戦後の戦勝国の影響力を色濃く残しており、国連改革の論点にもなっています。

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