関西万博、ちょっとワクワクしてるんだけど

夏の予定に関西万博、どうでっしゃろ?

イベントごとが好きな自分としては、「万博」って響きだけでちょっとワクワクしてしまうんです。だからこそ、最近はSNSで情報を集めつつ、気分を盛り上げていたんですが--ふと流れてくるニュースや発言が、思った以上に悲観的で、正直びっくりしてしまいました。

一度は行ってみたい気分

2025年の関西万博、正式には「2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)」は、4月13日から10月13日までの半年間にわたって開催されます。場所は大阪・夢洲(ゆめしま)という人工島。夏休みやお盆の時期に合わせて行く人も多いかもしれませんね。

個人的には、「行ったことないし、一度くらい見といたほうがええんちゃうか?」という軽い気持ちもあって、帰省ついでに立ち寄る計画を密かに立てはじめています。実は万博そのもの、まだ一度も行ったことがないんです。

SNSでは意外と好評?

X(旧Twitter)なんかを眺めていると、「行ってみたら意外と楽しかった」「子連れでも思ってたより快適だった」といったポジティブな声もたくさん見かけます。そんな投稿に背中を押される気持ちになったりして、ちょっとずつ気持ちも盛り上がってきていたのですが--

でもニュースはやたら悲観的

ところが、ニュース記事や政治家の発言など、流れてくる情報のなかに、かなりネガティブなトーンのものが少なくないんですよね。工期遅延、予算超過、暑さ対策の不備...内容自体は事実なんだと思います。でも、どこか“批判ありき”の空気というか、「やっぱりダメだ」と決めつけたような言い回しも目立ってきていて、せっかく前向きな気分になってきたところに水を差されるような感覚になることもあります。

もちろん、それも仕事であり、ビジネスの一環であるのは理解しています。批判も報道も、必要な役割ではありますし、全肯定の情報だけでは健全ではない。でもなんというか--もう少し、ポジティブな目線で見ても良いんじゃないの?という気持ちも湧いてくるんです。

ねちっこい批判、ちょっとしんどい

「万博はオワコン」「行く意味なし」「血税のムダ遣い」--こうした言葉の数々を見ていると、どこか“煮詰まった感”すら感じてしまいます。正直、ちょっとねちっこい。

批判そのものというより、語り口の重たさにお腹いっぱい気味というか...まるで学生時代の文化祭や体育祭で、あえて冷笑的な立場をとる一部グループを思い出すような感じがしてしまうんです。

「やる意味ある?」「別に参加しなくてもよくね?」みたいな空気感。別にそういう態度を取るのも自由だけど、でも「せっかくやるなら楽しもうぜ」って言ってる側からすると、やっぱり温度差を感じるんですよね。

この先はあくまで私個人の意見です。

やるって決まったら、まず成功を目指そう

「やる or やらない?」の段階で「やらない方がいい」という意見があるのは当然だし、それにも正義はあると思います。でも、「やる」と決まった後に、その成功をまったく望まないような立場を貫くのは、ちょっと違うんじゃないか?と思うんです。

もちろん、「成功を願え」という押しつけはできませんし、懐疑的な視点を持ち続けるのも一つの立場です。それでも、「どうせ失敗する」と煽るよりも、「成功するならどんな形がいいか」と考えるほうが、建設的だし、参加する側も前向きになれる気がします。

批判の裏にある正義感

もちろん、批判している人のなかには、本気で「このままではいけない」と思って声を上げている人もいると思います。その原動力は、おそらく“正義感”や“責任感”といったものなのかもしれません。

結果が出てから叩くのでも遅くない

まずは全力で成功させるように頑張ってみて、それでもダメだったなら、そのときに総叩きしたらいいのでは?って思うんです。「これだけの準備をして、協力もして、それでも失敗した」なら、その時点で「やっぱり無理だった」と冷静に総括すればいい。

でも、今の空気感だと、「そもそも応援すらしなかった人たちのせいで失敗した」といった、責任のなすりつけ合いになりかねないリスクもあると思うんです。

もし「国民の敵はあいつらだ」みたいなスケープゴートの材料にされたら、それこそ最悪な結末でしょう。

応援側に立ってみるという選択

だからこそ、いったん“応援する側”に立ってみるのも、ひとつの賢明な選択肢なんじゃないかと。

少なくとも、いち市民の立場としては、「行ってみてよかった」と思える時間になるよう、盛り上がってほしいし、応援したい。その姿勢を持っていてもいいんじゃないかな、と思う今日この頃です。

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