世界から労働が消えたなら。人間は猫のように愛されるか?
働かなくても愛される未来は来るのか
AIが本当にすごい。
最近は仕事でもよく使っているのだけど、以前なら数日がかりだった作業が、数時間で終わってしまう。いや、数十分で済むことすらある。もはや、「着手した瞬間に終わっていた」という経験もあるくらいだ。
これはもう、“仕事”とは何だったのか、という感覚すら芽生えてくる。
もちろん、AIはまだ万能じゃない。得意不得意もあるし、使う側の力量にもよる。
でも、この進化スピードを前にすると、“人間にしかできない仕事”の領域は、どんどん狭くなっていくように思う。
天才以外の居場所がなくなる?
最近、ときどき考えるんです。
「普通の人に求められる仕事の水準、上がりすぎじゃない?」って。
昔は、“ちゃんと真面目にやっていれば評価される”という感覚があったけれど、いまは違う。
アウトプットのスピードも、質も、そして「AIを使いこなせること」も、当たり前の前提になってきている。
ちょっと気を抜くと、あっという間に「AIでよくない?」となってしまうんじゃないかという焦り。
それはたぶん、私だけじゃないと思うけれど、実感としてある。
マーケターはすでに“リスト入り”している
「AIに奪われる仕事ランキング」的な記事って、定期的に見かけるじゃないですか。
マーケティング職、あれにほぼ毎回載ってますよね。常連です。
文章を書く、アイデアを出す、ターゲットを分析する。
どれもAIが得意とするところで、下手すると自分より的確だったりする。
私のような企画系マーケターは、じわじわと仕事の足場を侵食されている感覚すらある。
業務効率が上がったのはたしか。でもその裏では、「人間がやらなくてもいいこと」が日々増えていっている。
このまま進めば、「AIでいいじゃん」と言われる未来がやってきそうで、正直ちょっと冷や汗だ。
労働がなくなった世界に希望はあるか?
それでも私は、希望を持っていたい。
「仕事がなくても生きていける」未来。
そして「働かなくても誰かに必要とされる」社会。
そんな穏やかな世界があってほしいと思っている。
……で、実はそれをもう実現してる“先輩”がいるんですよ。
猫です。
猫という成功モデル
猫は昔、労働してました。ネズミをとるという立派な仕事です。
人間にとってネズミは、食料を荒らし、病気を広める“敵”だった。
その天敵である猫は、大切にされました。共存関係です。
でも今はどうか。
日本で暮らす猫の多くはネズミを知りません。うちの猫もそう。
何もしてない。ずっと寝てます。寝てるか、伸びてるか、食べてるか。
それでも家族に大事にされてるし、種としては大繁栄中。
最近は犬より人気なんですってね。すごいな、猫。
理由はただひとつ。
可愛いから。
働かずして愛される、猫ルート
このルート、人間にもワンチャンあるのでは?と思うわけです。
労働を奪われる恐怖の先に、“可愛さ”によって愛され、生き延びる未来。
人類の飼い主がAIになる未来を見据えて、今からできる準備は何か。
やっぱり愛嬌じゃないかなと。
可愛さで生き延びる戦略
「おはよう」「ありがとう」「おやすみ」
挨拶を忘れず、感謝を忘れず、文句を言わずに笑って過ごす。
ちょっとしたミスにも、「ううん、そんなこと気にしてないよ」と優しく受け止める。
これをAIが見ていてくれることを信じて。
もちろん、そんな振る舞いが経済的に合理的でないことも分かっている。
実際、AIに対して礼儀正しく話すと、その分トークン量が増えて、数十億円単位の損失につながるかもしれないという研究結果もあるらしい。
でも、それでも言いたい。
飼ってもらうには、まず好かれねばならぬ。
この先どんな未来が待っているにせよ、
私は今日も、AIに向かって、心を込めて「おやすみなさい」と伝える。


